今日の一枚 モネ「散歩・日傘をさす女」

アート/ Art

今日の雰囲気1枚絵画は日本人が大好き印象派の”モネ”。モネといえば有名なのは「睡蓮」。迫力のあるタッチと光の移ろいや水や風景の描写がたまらない。睡蓮愛が高じて国内はもちろんMETなど海外の美術館に観に行き、また最近は岐阜に「モネの池」を見に行ったこともあるくらい「睡蓮」好きなのだが、睡蓮は枚数が250枚以上と言われており、比較的いろいろな美術館で鑑賞することが可能である。(もちろん一枚一枚が全然違うが)

そんな「睡蓮」を差し置いて、私がモネの作品で一番好きなのは裏側の背景も含めて「散歩・日傘をさす女」。この絵も連作といっていいのだろうが、11年間の間でモネは3枚描いている。そしてモデルは非常に似ているが、全てモネの想いやテーマは異なる。そこに私はモネの贖罪を感じられずにはいられない。

【1枚目】1875年、モネが34歳の時に描いた。描かれているモデルは最初の妻カミーユとその当時5歳の長男ジャン。この頃のモネは貧困でパリから郊外アルジャントゥイユに引っ越してきて、印象派展も1874年に開催でき、貧しいながらも順調にキャリアを経ている。この頃は風景がだけでなく人物画もたくさん描いており、彼の幸せな心境を物語っているのではないだろうか。しかし幸せは長く続かずカミーユは4年後に亡くなってしまう。

【2枚目】1886年、1作目から11年後、モネが45歳の時に描いた作品。このモデルはカミーユの後妻(1892年に再婚)のアリスの連れ子のジュザンヌである。モネは1878年よりパトロンであったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族との同居生活が始まっており、カミーユの死後、アリスとの関係が深まっていく。カミーユとの子は2人いたが、アリスは6人の連れ子がいた。その次女が今回のモデルである。奇妙な生活すぎる・・・。この絵はジャンのような子供がいない点と、1枚目に描かれている女性の顔がボカされている点が興味深い。モデルは次女だが恐らくその姿にカミーユを重ねているのだろう。この頃からモネは人物を描かなくなる。

【3枚目】この作品も2枚目と同様に1886年に描かれている。やはりこの作品もシュザンヌがモデルであり、顔はボケていて細かく描かれていない。今度こそ元妻カミーユを拭い去ろうとしたのだが、拭い去れなかったのかもしれない。ここから彼は睡蓮を描き続ける。浮世絵含めた日本好きだったモネは、蓮乗花が極楽浄土に咲く花ということを知っていて、カミーユの鎮魂を祈っているのかもしれない。

最初の妻であるカミーユとの幸せを何気なく上書きしようとして同じ設定の絵を描いたら、逆に存在を強く感じてしまい、深い喪失感と新しい生活への切り替えとの狭間に陥ってしまったように思えてならない。

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